プロフィール

みぃ

Author:みぃ
夫と娘の3人暮らし

1993年6月 結婚。
1999年2月
 初めての妊娠が5週で流産
2000年3月
 7週で心拍確認後の流産
2001年8月
 3度目の妊娠で娘が誕生
2007年11月
 6年ぶりの妊娠が8週で心拍停止
2008年10月
 小さな胎嚢を確認後の化学流産

2008年6月に名古屋のAクリニックで不育症の検査を受けました。
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3度目の妊娠

2000年12月。
2回目の流産から9ヵ月後、3度目の妊娠をしました。

前回の時は不妊専門の病院でお世話になったため
「生理が1回でもきたらOK!逆にできやすいから早い方がいい」
ということでしたが、自分の体のリズムが整うのを見届けたかったので3周期は待ちました。

またその頃はちょうど私の仕事が忙しくなり始め、パートとは言え責任のある仕事を任され
自分もしばらく没頭して仕事に打ち込みたかったので子供のことは少し見送っていて
気が付けば前回の流産から7ヶ月たった10月頃から考えるようになりました。

雇用主が変わったことなどで年内に仕事を辞めることにしていて
それまでいろいろ忙しかったし、冬はのんびりと冬眠でもして
春から派遣社員ででも働くか~と派遣会社へネットで仮登録していたところ
年内に3度目の妊娠がわかりました。今回は2周期目でのことでした。

もちろんもう喜べません。両手を挙げた途端にバンザイなしよ、となるのですから。
早めに手当てをしても手立てを施しても無理なものは無理。
嫌でもそう知っているので無理せず何も考えず過ごすしかありませんでした。

夫には検査薬で陽性が出てからメールで知らせました。
それからお互いの中で妊娠のことが話題になることはありませんでした。
言葉は悪いですが、見て見ぬふりをしていました。
運動はもちろん控えて走ったり重たい物を持ったりするのも避けましたが
それ以外で妊婦ヅラするのはやめました。気持ちの中でも、です。
大掃除も普通通り適当にやり(元々適当に済ますので負担にならない)
おせち料理も毎年と同じように立ちっぱなしで作り
夫との会話でも私の中でも存在を忘れて暮らしていました。

これが誉められることなのかわかりません。
人によっては「お腹の子の存在を認めてあげないなんてかわいそう」と
思う人もきっといるでしょう。
でも認めるのが怖かった。まただめになるのが怖かった。
バンザイなしよ、なんてもうごめんだ。
神様に祈ることさえしなかった。気持ちの中から妊娠してることを忘れようとしていた。

病院は前回と同じ所と決めていたけれど、いつ行くか迷いました。
陽性が出てから2週間くらい後に、となるとちょうど年末年始。
これもちょうどよかったのかなと思い、お正月が明けて少ししてから受診しました。

遠いので車で送ってもらい夫も一緒に待合室にいたのですが
前回とは違わせたかったので、1人で診察室に入りました。

内診室でエコーを見た先生が「今日は一人で来た?」と聞くので、夫もいると答えると
「じゃあ呼んでもらおうか」と看護師さんに頼んでいます。
またダメだったの?また知らない間に成長止まってた?
待ってる間に心の準備をしたいと思って先生に聞くと「ご主人が来てからね」と返事。
もうだめだ…落胆しかけていると夫が入ってきて診察が再開されました。

「ご主人、ここね、心臓が動いてるでしょー、わかります?」と先生。

へ?動いてます?

「あ、ホントですね、わかりますー」と夫。

男同士で盛り上がり、私は一人脱力状態。
もう9週に入っていました。体も頭と胴体みたいに分かれていて心臓もピコピコ動いて。
「よくここまで来るの我慢したねー」と言われました。
内診室でも旦那さんを一緒に入れるのはよく不思議がられますが
この病院では珍しくないようです。
夫婦2人で子供を授かることに取り組んでいるのだから、喜びも感動も2人一緒に、
そういう先生のようで、喜んで診察に付いてくる夫にしても相性の良い先生でした。

9週で特に出血も腹痛もなかったので、次は一応2週間後。
そして13週に入る次の診察からようやく妊婦検診へとなりました。
妊婦は予約制で妊婦検診の部屋に入って先生を待ちます。
先生の方が通常診察の合間にやってくるので、妊婦は普通の待合室にはいません。
この辺が専門病院ならではの配慮だと思いました。

体調的には何のトラブルもなく過ぎていきましたが
私の中では半信半疑のまま、まだ存在を認められないような状態のまま過ぎていきました。
仕事をやめていたこともありますし、ちょうど真冬の2~3月の頃なので引きこもり状態。
両家が遠いこともあって両方の親にも報告していませんでした。
下着も普通の物を使っていて、5ヶ月の戌の日に産院でさらしを巻いてもらう時に
ベテラン助産師のおばあちゃんに「あれまぁ!こんな小さなパンツ履いて!冷えるでしょ!」と
大きな声で注意されたのを思い出します。そこでようやくマタニティ用の下着を買いました。

本当に生まれるまで誰にも言いたくなかった。
この手でこの目で本人を見るまでは信じられなかった。

春を前に、もうすぐ6ヶ月という頃
先生から「ご両親も喜んでるでしょう?」なんて言われました。
まだ言っていないこと、言えないことを話しているうちに涙ぐんでしまいました。
「普段元気だからわからなかったなぁ…そんな風に思ってたのかー」と先生は言い
「5ヶ月はもう安定期に入ってるからご両親に話してあげていいんじゃない?」と
言ってくれました。私は安定期=6ヶ月だと思っていたので少し安心して
先生もそう言ってくれるなら…と少し気持ちの扉を開けてみようかと思うようになりました。
春で草木が芽吹くように。

それ以降は本当に順調で、お腹が張ることもなく楽しい妊婦生活でした。
ペーパードライバーの私は毎回夫に送りがてら付いてきてもらい
一緒にエコーを見ることもできました。見せてくれる病院でよかった。

そして予定日を2日過ぎて誘発分娩。夫も立ち会ってくれて
2001年8月、3300gの女の子が生まれました。
会えた、やっと会えた、私たちの子供。

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