プロフィール

みぃ

Author:みぃ
夫と娘の3人暮らし

1993年6月 結婚。
1999年2月
 初めての妊娠が5週で流産
2000年3月
 7週で心拍確認後の流産
2001年8月
 3度目の妊娠で娘が誕生
2007年11月
 6年ぶりの妊娠が8週で心拍停止
2008年10月
 小さな胎嚢を確認後の化学流産

2008年6月に名古屋のAクリニックで不育症の検査を受けました。
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Wedding Anniversary

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ガス抜き

昨夜は久しぶりに夜更かしをしました。
元々は夜型で徹夜も平気なタイプなので、つい気を抜くと寝そびれてしまいます。
子供が幼稚園に行くようになってからは、ようやく自制することも覚え
次の日のことを考えてちゃんと就寝するようにはなっていましたが
もうすぐ週末という、気が抜けかけたところでちょっとダラダラと。
何をしてるってわけじゃないですけど、パソコンやったりテレビを見たり。
何となく起きてる間に夜も更けてしまいました。

精神状態によっては夜1人で起きているというのは
自分だけが取り残されたような気持ちになってしまうこともあります。
でもそうじゃない時の夜更かしは私にとってはガス抜きだったりします。
別にリラックスしたり、夜空を眺めてお茶を飲んだり…なんて何もないですけど
なんだろうなぁ、何の制約も受けずに自分でダラーっと過ごすこと、ですか。
いや、こんな定義なんて別にいらないですね。すぐ理由つけたりするのは私の悪いクセです。

もちろん翌日は眠いです…そして今日も予定がないのをいいことに昼間はダラダラしています。
あ、私のガス抜きっていうのは「ダラダラする」ことなのかもしれません(今頃気づいた)
サボりクセもあるかもしれません。時々サボるのが私の調整法なのかな。

あれから出血はほとんどないと言っていましたが、水曜くらいから少しずつあります。
術後3日目にはナプキンにしっかり付くほど、生理の3日目くらい。
4日目は減ってきたなと感じて少しだけナプキンにつくくらい。
5日目の今日はほとんど付いてないけどトイレで拭くとまだあるな…という感じ。
そういえば生理の日数みたいな変化です。

昨日寝る前には今日から基礎体温をつけようと思っていたのに
習慣がなくなってしまったのでついうっかり忘れて起きてきてしまいました。
明日からはつけようと思っています。

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お出かけ

今日は夫が休みだったので、夕飯はパーッとお寿司を食べに行ってきました。
もちろん回ってるお寿司ですが。
生ものを避けてたというのもあるし、妊娠してからは食べたい物があったりなかったり、
疲れ気味だったりしてあまり外食もしてなかったので家族サービス。
帰りにはライトアップしている近場の名所へ立ち寄って
幻想的な夜の光の中を3人で散歩してきました。

こうやって平和な日々が続いていくことへの感謝と
そしてこのまま平和な日が続くことへの祈りと
このまま3人家族なのかなと思う自分と。

平穏な気持ちに戻るのが早い分、本当に漠然とした何かが見え隠れします。
そうだそうだ、まだ流産とわかってからだって10日しか経ってない。
自分は無理をし過ぎなのかとも思うほど元気で、これでいいのかと自問もしてしまいます。
日記を書けばこんなことばかり書いてる。同じことばかり。

この迷う日々がどこかに続いてくんだろうか。
行き先がわかっているなら、意味があるのならどれだけでも迷うんだけど。
それがわからないからみんな迷うんだろうな。

イルミネーションを見てきたせいで、ちょっとセンチメンタルです。

昨日はバレーの練習もやってきました。
体調を考えて多少セーブしてたので全力ではありませんでしたが、それでも楽しかったです。
1ヶ月以上ぶりだったので今日は早速筋肉痛(苦笑)
やっぱりバレーはいいなぁ。もっともっと練習したいくらい。
私の妊娠を知らない人達ばかりなので、休んでることで「もしかして?」と
思ってた人もいるかもしれないけど、これで妊娠疑惑もいっぺんに払拭することができました。
今まで「もしかして?」と聞かれるのを内心ビクビクしていたので正直ホッとしました。
もう嘘つかなくていいんだ…って。

でも、何となくですけど、次に妊娠したらこんなにもう隠さないかもしれないです。
ダメだった時は正直にダメだったと言ってスッパリ休もう、元気になるまで休ませてもらおう、
みんなの前で泣いてもいいや、頑張ったけどダメだったって正直に言おう、
そんなことを何となく考えています。

上の方では次を目指すことができるのか?と漠然と不安になりながら
こうして次の時のことを考えているあたり、自分でもまとまってないんだなと思わされます。
統一してないですね、まだまだ。
こう言ってるうちはやっぱり次を頑張りたいんだろうか、私。

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術後

手術から1日たち、体調は普段通りです。
出血は1週間~10日間くらい続くかもしれないけど、という話でしたが
ほとんど出血もありません。この後、またあるのかもしれないので油断はできませんが
前の時も出血はほとんどなく、生理周期もすぐに戻ったので
こういう点では丈夫な方なのかなと思います。

激しい運動は2~3日禁止、お風呂も翌日から湯船に入ってもOKということで
もう少しだけ気をつけながらの生活です。

正直言うと、今の気持ちはバレーの練習がしたい、体動かしたい。ビリーもやりたい。

実はバレーのチームのキャプテンです。
上手なチームと、同年代のママ達で作ったチームを掛け持ちしていて
同年代の中では一応キャプテンなので
今回休むのもかなり目立つし、体調不良なんて言えば「2人目?」となるし
顔出して元気な姿を見せつつ練習は見学…すごく怪しい日々を送っていました。

自分だってもっともっと上手くなりたいのに
他の人にどんどん抜かされてしまう、そんな気持ちもどこかにあったり。
もちろん、今回の妊娠をした時にそれを恨むなんてこともなく
喜んで休んだし、生まれるまで休むことだって全然苦じゃなかったです。
でもいなくなってしまった今、またバレーに打ち込みたい。
戻れる場所や、打ち込めるものがあるというのは幸せなことかもしれないです。

思ったより気持ちの回復も早いのは、良いことなのかもしれませんが
そんな自分を見ていて漠然と心配になることもあります。

このまま私自身が「もういいや」と思ってしまうんじゃないかということ。
子供が1人いるというのも大きな理由になりますし
もう3人暮らしの生活が定着してる。
バレーだってもっともっと続けていけるし、別にこのまんまの生活でもいいじゃん、
…なんて思ってしまうようになるんじゃないかと思ってしまう自分もいます。

もう5歳くらい若かったら、まだ30代前半だったら違っていたかもしれません。
でも私も38歳目前。30代の間にもう1人、と思うとタイムリミットがあります。
あと5年以内…は無理かも。あと2~3年のうちに、と区切りがはっきり見えてしまうと
今までには感じることのなかった焦る気持ちや、
今までにはなかった漠然とした不安が新しく加わってきてしまうようで。

昨日これからの検査についても先生と話をしました。

1人目が普通に生まれてるのに私達の染色体異常という可能性もあるのか?という疑問。
私達の染色体を調べたところで、原因が見つかったとしてもどうしようもないと言われました。
1人目が生まれてるから問題ないかもしれないし、
問題が元々あったとして、1人目はものすごい奇跡で生まれた子だったのかもしれないし。
でもすごい奇跡で生まれるには確率的にどうかな?とも思うのですが
この機会に調べられるものは調べてみたいという意思も伝えました。

もし今後解決法がない(原因がわからないのではなく)のであれば
1人っ子と決めて暮らしていくこともできますし、気持ちの区切りもつけれます。
原因が不明であればまた挑戦することを考えることはできる…かな。どうだろう。

グルグルと揺れます。
どちらにしても年内に生理が復活するかしないかなので
それまでは好きなことをして、おいしいもの食べて過ごしたいです。

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手術

稽留流産と診断されてから1週間、昨日ソウハ手術が無事に済みました。

手術までの1週間のうちに出血が始まれば
そのまま大出血で出てしまうこともあるので
あまりに酷い時は救急病院に行くように言われていましたが
ありがたいことに何の症状もなく今日を迎えることができました。

午後からの手術のため、食事もありがたいことに朝食はOK。
軽く食べて、いつもの通り娘を幼稚園に送っていきました。
帰りは恐らく夜になってしまうため、幼稚園のお友達のところに
お迎えも前もってお願いしてあり、そのままお宅で預かってもらい、
夕食も一緒に済ませてくれると言うので
お言葉に甘えさせて頂くことにしてお願いしました。

今回の妊娠のことを話していた数少ない人の1人です。
学生時代の友人かのように一緒に悲しんだり、励ましの言葉をたくさんくれたり
…ということはないけれど、普通に接してくれていて
こういう時に手を差し伸べてくれて本当に助けられます。

心療内科やカウンセリングに通い出すまでは、他人に頼ることが
一切できなかった私なのですが、今では感謝とともに
困っている時は甘えさせて頂いています。素直になりました。
遠回りしたけどここまで来られるように神様がしてくれたのかなと思ったり。

お願いするお宅に娘の荷物をお届けに。
着替えとおやつとちょっとした手土産を。
何も知らない娘はいつもと違うお迎えと、お友達の家で遊べるのが楽しみで
今日が来るのを指折り数えて待っていました。
今朝も「やったー、月曜日がきたー」と言って起きてくるほど。
何も知らない姿にこちらは複雑な気持ちにもなりましたが
喜んでくれるのが何よりだと送り出しました。

午後から病院へ。持ち物は生理用ショーツとナプキン、手術の承諾書のみ。
最初に何か点滴があったような気がしていましたが
手術着に着替えるとすぐに手術室へ。
さっきトイレに行ったばっかりなのにまた行きたくなるほど緊張していました。

台に上がり片腕には血圧計を付け、もう片腕には点滴が入りました。
麻酔をここに入れていくようです。
それから肩に麻酔の効きを良くするという注射を打たれました。
先日話し込んだ看護師さんだったので、また話しながら泣きました。

2度目の流産手術の時もそうだったのですが
それまで元気でいても、台に上がり準備が整ってくると泣けてきます。
今回も1週間前にこの病院で涙してからはもう泣いていなかったのに
やっぱりダメでした。声をあげて泣いてしまいました。

「今日はこの子のためにいっぱい泣いてあげようね」

看護師さんはそう言って涙を拭いてくれました。
悲しい気持ちはもちろん、怖さや不安も徐々に増してきて
今すぐにでも逃げ出したい気持ちでした。
逃げたところでどうしようもないし、お腹にずっと残しておくわけにいかない、
わかっているけど、不安がいっぱい襲ってきました。

先生がやってきてもう1度エコーで最終確認。しっかり見納めました。
そうして麻酔開始。
数を数えているうちに天井がゆらゆらしてきて、数えてる自分の口がおかしくなって…
次に気が付いた時は片付けているような雰囲気とお腹の激痛。

「いたいー、お腹がいたいー、いたいー」

朦朧としながらずっと言っていたように思います。すごく酷い生理痛並みの痛さでした。
途中先生が「終わりましたよ」と声をかけてくれたのもわかっているのですが
反応しきれず「いたいー」と言い続けていました。

前ソウハをした時は先生が来たことも帰ったことも知らない間だったし
ベッドに移されたのも知らない間で、気が付いた時は移動した先の病室のベッドでしたが
今回は麻酔の時間は短かったようで、ベッドへも誘導されて自分でゴロンと移りました。
キャスター付きベッドで部屋を移動しているのまでは覚えていましたが
その先はまた少し眠りました。目が覚めたのは手術開始から1時間半くらい後のことでした。

めちゃくちゃ酷い生理痛並みだったお腹は、ちょっと痛い生理痛くらいになっていました。
普段あまり生理痛のない私なので痛かったし、バファリン飲みたかったくらいです…
点滴も済んでいたのですがまだ夕方の診療時間の前だし、
夫が迎えに来る時間もまだ先だし、しばらくまだボーッとしていたかったので
1時間近く横になったままでいました。
よく考えたらこうやって1人でボーッとすることってなかったです。
平日の昼間は1人と言えば1人なのですが、テレビもあるしパソコンもある。
何もしないでいる…ということはなかなかなかったんですね。
何を考えてたってわけではないですが、ただただ横になっていました。

それから看護師さんを呼んで点滴を外してもらいました。
手術の時とは違う人でしたが、娘が生まれた時に先生がその時勤めていた病院に勤務していて
今回クリニックの新設と共に先生に付いて移ってきたという看護師さんで
前の病院の話や娘が生まれた時のことなんかをいろいろお話して過ごしました。
いろいろ気にかけて話をしてくれて、また救われましたし
2度目の流産の後に「絶対ここで産む!」と決意した気持ちを思い出しました。

迎えの夫も到着し、夕方の診察で先生に2人で会いました。

「お久しぶりー、こんな形で会うのは残念なんですけどねぇ」

先生は夫にもそう声をかけてくれて、同じように説明をしてくれました。
今回はここまで大きくなっているのに何が原因なんだろう…と首をかしげ
胎児の染色体は検査しようと言っていました。
その他に私から、自分達の検査もしてみたいと伝えました。
最近ネットで調べてみた自己免疫異常、同種免疫異常のこと、
今回の手術で給付金が下りるので、保険対象外の検査でも大丈夫なことも。

次の検診は1週間後。
炎症を抑えたり子宮の調子を戻す薬など3日分をもらい病院を後にしました。
時間は18時前。5時間もかかりませんでした。
支払いは10270円。1万5000円ほどと聞いて用意していましたが少なく済みました。

帰り道に夫と2人でおそばを食べて夕飯を済ませてから娘を迎えに行きました。
体調はそれまでと本当に変わりなく、
それまでも何も症状がなかったので実感がありませんでした。

娘はお友達の家で遊んでテンションも高く、すぐ現実に引き戻されました。
本当に妊娠していたことも実は夢だったのかも、と思ってしまうくらい
普通に食べて普通に喋って普通に眠って…そんな普通の暮らしが続いています。

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そして流産

2007年10月、6年ぶりに妊娠をしました。
基礎体温を付け始めて1周期目、まさかすぐに妊娠するとは思っていなかったので
半信半疑、それでも体的にいつもと違うのですぐにわかりました。
生理周期もほとんど狂いがないので気づくのも早かったと思います。

検査をするのもだいぶ迷いました。
娘を妊娠した時は仕事の休憩中だったこともあり
職場近くのショッピングセンターの薬局で検査薬を購入し、そのままトイレで検査したので
今回も縁起を担ぎたくてショッピングセンターまで出かけました。結果は陽性。
またメールで夫に報告をしました。

さて病院はどうしよう、いつ頃行こうか。
前お世話になった先生の所(すごく近所に不妊専門クリニックを開院していた)へ
行きたかったけど、不妊専門クリニックなので分娩もやっていないし、
自然妊娠の私が行っても…と思い、近い総合病院へ。

本当は前の時のように、行ったらもう9週だった、くらいがよかったのだけど
ママさんバレーをやっている関係や、幼稚園の役員の絡みなんかで
ある程度の近しい人には報告をしなくてはいけないということもあって
検査薬で陽性が出てから1週間してから病院へ問い合わせしてみました。
半信半疑というのもあったし、せめて胎嚢でも確認できればと思って。

しかしその病院は完全予約制だったようで、予約を取るにも2週間待ち。
「検査薬で出てるんですよね?だったら妊娠してますから~」と軽く受付の人に言われ
2週間後の予約を取りました。

2週間後の診察では基礎体温表から6週4日と言われ
成長的にもほぼ狂いなしと言われました。
目をこらせばわかる程度でしたが心拍の点滅も確認できましたし
その病院の先生も何とか心拍が私にも見れるようにしてくれて優しい先生でした。
茶色いオリモノやティッシュで拭くと薄いけど出血もあったし
内診でも出血が確認されるので、切迫流産ということで薬をもらって帰りました。

1週間ほどで出血も消え、体調も多少ムカつき感はあるものの変わらず
近しい人だけには報告も済ませ、娘やその他の人にはまだ言わずに過ごしていました。
夫ともこの件について必要事項だけは話すものの、それ以外は話題にせず。
娘に知らせてないというのもあったからですが、
今思えば、話すことが怖いというよりも縁起担ぎのような感じでした。
気持ちの中では前の時のような「信じまい」というより
まさかもう自分に流産なんて起こらないだろうと思っていました。
どちらかと言うと、万が一に備えて隠すことばかりに神経が行っていたように思います。
喜ぶとだめになる、そんな疑念も拭えなかったからだと思います。

初診から2週間後、予約どおりに検診に出かけました。
半信半疑の気持ちのような、「大丈夫だろう~」という信じる気持ちのような。
内診台の上から見たエコーの画面には、前回より明らかに大きくなっている胎児の姿と
そして心拍がないこともわかりました。何も言われずに外で待つように言われ覚悟しました。

先生から心拍がないことを告げられ、その場で泣きました。いやだ、いやだ、と泣きました。
落ち着いてから話をしましょう、と看護師さんに付き添われて別室で休ませてもらい
泣きながら夫に電話をして帰ってきてもらえるように頼みました。
夫が職場から来るまで1時間、看護師さんに話を聞いてもらい少し落ち着きました。
後で聞きましたが、週数相当には成長しているので
止まったのはここ1~2日でしょう、とのことでした。

夫が到着し、2人で先生の話を聞き、手術の話になりました。
手術の予定が詰まっているので早くても1週間後とのことで予約を入れてもらいました。
入院の説明も聞き手続きもして、気が付けば娘のお迎えの時間。
病院からその足で幼稚園に迎えに行きました。
何も知らない娘は夫もいるので大喜び。私は涙を隠しました。

不思議と病院を出る時には落ち着いていました。
初めての時は本当に暗闇の絶望しかなかったけれど
2度目以降は「次があるのをわかっている」分、少しは強くなれているのかもしれません。
「自分が動かなければ次は来ない」ということもわかっているからかもしれません。
でも、なんで?なんで私がまたなの?という気持ちはグルグルと回っていますが。

流産の事実は受け止めて手術の予約をしたものの、何となくすっきりしていませんでした。
馴染みのない病院だからというのもあるかもしれません。
先生は良さそうな人だけど、何せ会ったのは2回目。
麻酔で寝ている間の手術で体を預けるには自分の気持ちの中で何かすっきりせず。
近くに以前お世話になった信頼のおける先生が開院されてるから、なのかも知れません。

また不育症のことについても、この総合病院の先生は
「1人普通に生まれてますからねぇ」と、検査はしないということでした。
私の中では途中1人生まれているとは言っても、自分にしたら3度目の流産。
それも2回は心拍確認後に止まる。調べてみた方がいいんじゃないかと思ったのです。

出産でお世話になった先生の所に相談に行きたいと思いました。
もしできるなら今度の手術も頼めないかと思いつきました。
入院施設のないクリニックだけど、日帰り手術なら可能だったはず。
夫に相談してみると、彼も賛成。どちらにしても聞いてみようということになりました。

翌日早速クリニックに電話を入れてみました。
受付の人もとても親切で、事情を話すと
しばらく保留された後、先生が電話に出てくれました。

「お久しぶり。大変だったね」

第一声を聞いて、私は泣いてしまいました。
今回の経過を説明して手術をお願いできないかと話してみたところ
「処置的には変わらないけど、あなたの気持ちが済むのならこっちでやろうか?」と言ってもらえ
迷わずお願いすることにしました。
どちらにしても一度診察が必要なので、電話を切った後すぐに病院に向かい受診しました。

先生に会うとまた涙が出てきてしまいました。
私の名前や容姿は覚えていたようですが、過去の詳細までは覚えていないので
今までのことを最初の妊娠から順を追って説明をしました。
1人目から6年間もあいたことも聞かれ、カウンセリングに通ったことも話すと
「仲の良いご夫婦だったし、子供好きな2人だからどうしたのかなと思って」なんて言われました。
夫とは通勤電車で時たま顔を合わせていたこともあって、彼のことも覚えてくれていました。

内診でもう一度確認してもらいましたが、やはり心拍は確認できず。
大きさは8週相当だし、ここ数日の間だったね…とここの先生も言っていました。
確認はできているのだけど、何度も何度も角度を変えていろいろ見てくれようとして
「本当に残念だね…ここまで成長してるのにね、本当に残念だ」と言ってくれていました。
受精することの難しさを知っている先生だからこその言葉だと思いました。

先生との話の中で
「私はNK細胞でも活発なんじゃないかと思って」なんて言うと
「勉強してるねー」というような反応が返ってきました。
以前から思っていましたが、自分の意見を持ってる患者が好きな先生です。
2度目の時は特に検査しなかったので、
今回はとりあえず保険で調べられることはやっておくね、と
本当に話が早くてやっぱり先生に会いに来てよかった、本当にホッとしました。

手術の説明をしてもらう時、看護師さんも同じような経験をされているそうで
2人で涙ぐんでしばらくいろんなことを話し込んでしましました。
こんなところも専門クリニックならではだなと懐かしくなりました。
妊娠したなら育って当たり前、生まれて当たり前という病院は私には合わなかった。

手術をする前から不謹慎かもしれないけど、次の妊娠に向けてもう顔が上がっています。
それは信頼できる先生と再会できたというのも大きいと思います。
検査をすれば何か出るかもしれないし、要因が分かれば対処法が少なからずあるだろうし、
そう望みをつないでいます。
次は先生と共に何とかしたい、何とかなる、そんな気がしています。

近くに先生が開院されたこともすごく偶然だけどラッキーなことだったし
今回こういう結果になってしまったけど、それで先生と再会できたし
お腹の子が導いてくれたんじゃないかと思います。

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2人目は?

2001年に娘が生まれて6年。
2人目を考えてなかったわけでもなく過ぎていきました。

実は娘が2歳の頃、私の中でいろいろあり
心療内科と個人のカウンセリングに通う時期がありました。
その出来事も、出口のないトンネルにいるような、そんな時期でした。
良いカウンセラーの先生と出会え、夫のサポートもあり
2年間の通院を経て無事に自分の場所へ戻ってくることができました。

心療内科の薬は妊婦には厳禁なものばかりです。
薬を手放せる時期が来るのか、飲まなくても大丈夫でいられる時期が来るのか
そう思ってるうちは、妊娠のことなど考えることはできませんでした。
もしかしたらこのまま1人っ子かもしれないな、と思うこともありました。

子供が幼稚園に入り、私も自分のペースを作り、のんびり楽に過ごせるようになりました。
学年が上がって幼稚園の行事の手伝いをしたり、役員になったり。
2人目を考えてみようかと思い始めたのは子供が5歳になった頃でした。

でもちょうど夫の仕事が相当忙しく、朝は7時前に出かけ、帰りは深夜1時近く。
娘にはもちろん、私も娘と一緒に寝てしまい会わない日があったりしました。
子作りに励める状態でもなく、強く望んでいたわけでもないのでそのまま日々が過ぎました。

途中まじめに取り組み始めたこともありましたが、その途端に私が謎の湿疹。
肌トラブルなんてなかったので驚いて初めて皮膚科に行ってみると貨幣状湿疹と診断。
原因はいろいろあるけど、とりあえず対処療法しかないので、と
抗生物質を塗り、アレルギー系の薬を半年ほど飲みました。
もちろん飲んでる間は妊娠はダメ。飲み終わっても2周期くらいは避けて欲しいと言われました。

それが治った頃、今度は私が足の指を骨折。
家事は何とかなったものの、これまた2人目を考えるのは一旦お休みとなり
そんなこと続きで気が付くと娘は年長になっていました。

娘が年長の夏、夫が異動になり激務から解放。
これもちょうど何かのタイミングなんだと、2人目をちゃんと考えるようになりました。
マカと葉酸を買って2人で飲み始め、パソコンのデスクトップもワイルドベリーに変えたり
基礎体温も6年ぶりに計ることにしました。
すぐにできないだろうから、3周期分の記録ができたら以前の時の先生に相談に行こうと思って。

そう、2度目の流産と3度目の妊娠で娘を出産した時の病院は自宅から遠かったのですが
そこでお世話になっていた先生が今は何と車で10分のところにクリニックを開院しているのです。
開院の時は「これで2人目も先生に取り上げてもらえる!」と喜びましたが
よくよく聞いてみると不妊専門のクリニックとのこと。入院施設を持たず分娩も扱わないそう。
すごく残念でしたが、それでも近くに来てくれたというのはとても嬉しく、ご縁を感じました。

そして基礎体温を付け始めて1周期、2人目を妊娠しました。2007年10月のことです。

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3度目の妊娠

2000年12月。
2回目の流産から9ヵ月後、3度目の妊娠をしました。

前回の時は不妊専門の病院でお世話になったため
「生理が1回でもきたらOK!逆にできやすいから早い方がいい」
ということでしたが、自分の体のリズムが整うのを見届けたかったので3周期は待ちました。

またその頃はちょうど私の仕事が忙しくなり始め、パートとは言え責任のある仕事を任され
自分もしばらく没頭して仕事に打ち込みたかったので子供のことは少し見送っていて
気が付けば前回の流産から7ヶ月たった10月頃から考えるようになりました。

雇用主が変わったことなどで年内に仕事を辞めることにしていて
それまでいろいろ忙しかったし、冬はのんびりと冬眠でもして
春から派遣社員ででも働くか~と派遣会社へネットで仮登録していたところ
年内に3度目の妊娠がわかりました。今回は2周期目でのことでした。

もちろんもう喜べません。両手を挙げた途端にバンザイなしよ、となるのですから。
早めに手当てをしても手立てを施しても無理なものは無理。
嫌でもそう知っているので無理せず何も考えず過ごすしかありませんでした。

夫には検査薬で陽性が出てからメールで知らせました。
それからお互いの中で妊娠のことが話題になることはありませんでした。
言葉は悪いですが、見て見ぬふりをしていました。
運動はもちろん控えて走ったり重たい物を持ったりするのも避けましたが
それ以外で妊婦ヅラするのはやめました。気持ちの中でも、です。
大掃除も普通通り適当にやり(元々適当に済ますので負担にならない)
おせち料理も毎年と同じように立ちっぱなしで作り
夫との会話でも私の中でも存在を忘れて暮らしていました。

これが誉められることなのかわかりません。
人によっては「お腹の子の存在を認めてあげないなんてかわいそう」と
思う人もきっといるでしょう。
でも認めるのが怖かった。まただめになるのが怖かった。
バンザイなしよ、なんてもうごめんだ。
神様に祈ることさえしなかった。気持ちの中から妊娠してることを忘れようとしていた。

病院は前回と同じ所と決めていたけれど、いつ行くか迷いました。
陽性が出てから2週間くらい後に、となるとちょうど年末年始。
これもちょうどよかったのかなと思い、お正月が明けて少ししてから受診しました。

遠いので車で送ってもらい夫も一緒に待合室にいたのですが
前回とは違わせたかったので、1人で診察室に入りました。

内診室でエコーを見た先生が「今日は一人で来た?」と聞くので、夫もいると答えると
「じゃあ呼んでもらおうか」と看護師さんに頼んでいます。
またダメだったの?また知らない間に成長止まってた?
待ってる間に心の準備をしたいと思って先生に聞くと「ご主人が来てからね」と返事。
もうだめだ…落胆しかけていると夫が入ってきて診察が再開されました。

「ご主人、ここね、心臓が動いてるでしょー、わかります?」と先生。

へ?動いてます?

「あ、ホントですね、わかりますー」と夫。

男同士で盛り上がり、私は一人脱力状態。
もう9週に入っていました。体も頭と胴体みたいに分かれていて心臓もピコピコ動いて。
「よくここまで来るの我慢したねー」と言われました。
内診室でも旦那さんを一緒に入れるのはよく不思議がられますが
この病院では珍しくないようです。
夫婦2人で子供を授かることに取り組んでいるのだから、喜びも感動も2人一緒に、
そういう先生のようで、喜んで診察に付いてくる夫にしても相性の良い先生でした。

9週で特に出血も腹痛もなかったので、次は一応2週間後。
そして13週に入る次の診察からようやく妊婦検診へとなりました。
妊婦は予約制で妊婦検診の部屋に入って先生を待ちます。
先生の方が通常診察の合間にやってくるので、妊婦は普通の待合室にはいません。
この辺が専門病院ならではの配慮だと思いました。

体調的には何のトラブルもなく過ぎていきましたが
私の中では半信半疑のまま、まだ存在を認められないような状態のまま過ぎていきました。
仕事をやめていたこともありますし、ちょうど真冬の2~3月の頃なので引きこもり状態。
両家が遠いこともあって両方の親にも報告していませんでした。
下着も普通の物を使っていて、5ヶ月の戌の日に産院でさらしを巻いてもらう時に
ベテラン助産師のおばあちゃんに「あれまぁ!こんな小さなパンツ履いて!冷えるでしょ!」と
大きな声で注意されたのを思い出します。そこでようやくマタニティ用の下着を買いました。

本当に生まれるまで誰にも言いたくなかった。
この手でこの目で本人を見るまでは信じられなかった。

春を前に、もうすぐ6ヶ月という頃
先生から「ご両親も喜んでるでしょう?」なんて言われました。
まだ言っていないこと、言えないことを話しているうちに涙ぐんでしまいました。
「普段元気だからわからなかったなぁ…そんな風に思ってたのかー」と先生は言い
「5ヶ月はもう安定期に入ってるからご両親に話してあげていいんじゃない?」と
言ってくれました。私は安定期=6ヶ月だと思っていたので少し安心して
先生もそう言ってくれるなら…と少し気持ちの扉を開けてみようかと思うようになりました。
春で草木が芽吹くように。

それ以降は本当に順調で、お腹が張ることもなく楽しい妊婦生活でした。
ペーパードライバーの私は毎回夫に送りがてら付いてきてもらい
一緒にエコーを見ることもできました。見せてくれる病院でよかった。

そして予定日を2日過ぎて誘発分娩。夫も立ち会ってくれて
2001年8月、3300gの女の子が生まれました。
会えた、やっと会えた、私たちの子供。

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2度目の妊娠

2000年3月、1度目の流産から1年後に妊娠しました。

最初の流産の後、経過は順調だったので
「生理が2~3回きたらまた作っていいよ」と言われていましたが
気持ち的に乗り越えることができず、半年たってからの解禁でした。

作り始めて半年でまた妊娠。
でも今度は正直に喜べませんでした。
2人で陽性の検査薬を前に神妙にしていたと思います。

今度は病院を変えようと思っていました。
最初の時は「6週には分娩予約をお取りください」と受付に書いてあるほどの人気産院。
先生は腕はいいのかもしれませんが、
何のトラブルのない人には良い病院、という感じでした。

妊娠待ちの半年の間に、もしできなかったら相談しようと思い
不妊に強い病院の情報を集めていました。
自分は自然にできるから相談に行くのは違うのかもしれないけど
妊娠して万が一のことがあった時、きっと最初の病院とは違う対応をしてくれると思って。
これもネットで教えてもらい、少し遠いけれど有名な病院を知りました。
行こうと思っていたところに2度目の妊娠。迷わずその病院を受診しました。

一応前の経験を踏まえ、陽性が出てから1週間は待って受診しました。
胎嚢は見えていて、また2週間後にということで帰宅。
とても混んでいましたが、丁寧に話を聞いてくれる先生でした。

1週間後、トイレットペーパーに付く程度の少量の出血がありました。
夜でしたが心配で病院に電話を入れると
看護師さんから「心配なら入院する?」とすぐに言ってもらえました。
そんな対応が嬉しくて、支度をして夫に車で送ってもらいました。

翌日の診察で心拍が確認できました。初めて見る鼓動、ドキドキしました。
出血もあるので切迫流産の診断も出て
私さえ良ければこのまま入院してていいよ、と言われました。
毎日流産防止の薬と注射をうち
「次の診察で出血が止まっていたら退院ね」と言われ1週間過ごしました。

1週間後の診察で、出血は止まっていたけれど心拍も止まっていました。

話を聞いた時、嫌な汗が出て目の前が揺れ始め気持ちが悪くなってしまい
自分の意思とは別に椅子から崩れるように倒れてしまい
ベッドで横になりながら先生の話を聞きました。

「世の中にはどうしようもないこともある。
無事に妊娠して、無事に育って、無事に出産するというのは
本当に奇跡なことなんですよ」

たくさんの事例を見てきている先生なのだろうけど
私に対して語りかけるように話してくれました。
不妊治療をたくさん見てきているであろう先生の言葉は本当に重みがありました。
私なんかが嘆くのも申し訳ないほど。

翌日手術になりました。
他の切迫流産の妊婦さん達と同室でずっと話をしていたため
翌日手術とはいえ、一晩過ごすのも辛かったので退院をさせてもらいました。
そんな私のわがままも「そうだね、そうだよね」と聞いてくれる先生や看護師さん達でした。

翌日また夫に車で送ってもらい日帰り手術。
麻酔をかけてソウハの手術と聞いていましたが、同じ手術を受ける人が他に2人。
支度をしている時に話しかけられて最初は意味がわかりませんでした。
他のお2人は不妊治療の1つとしてソウハをするということでした。
私が流産の処置でと答えると
「妊娠できることがわかっただけ羨ましい」というようなことを言われました。

前だったら嫌な気がしたかもしれません。
だけどその時はそうは感じませんでした。
1週間の入院生活でしたが、同室になる人は皆さん人工授精や体外受精での妊娠で
県外から来ている人も珍しくなかったからで
自分は何て恵まれているんだろうかと思い始めたところだったからです。
妊娠できることがわかっただけまだ次を向くことができる、そう感じました。

ソウハの手術は寝てる間に終わりました。
麻酔が覚めるのが早かったのか、生理痛の何倍もの痛みがありましたが
出血も翌日くらいまでで終わり、経過は今回も順調でした。

前は何の手立てもできず流れてしまい、医者を恨んだり自分も後悔ばかりしました。
でも今回は入院もして、毎日薬と注射を受け、それでもダメだった。
どうしたってダメな時はダメなんだ、そう知りました。

今度の先生はこういう時こそ妊娠のチャンスなのだから
1回でも生理がきたらトライしていい、トライすべき、と言っていました。
2度目というのは耐性ができているのか、「次がある」と知っているだけ
最初の時の計り知れない絶望感はありませんでした。

私も次に向けて頑張りたい、次は絶対ここで出産する!と心に決めました。

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初めての妊娠

1999年2月、結婚6年目で初めての妊娠をしました。

それまでは私の持病で薬を服用していたので医者から待つように言われていて
比較的若くに結婚したので私たち夫婦も納得していました。
当初は3年ほどの予定でしたが、気が付くと5年。
無事に投薬も終了し、ようやくスタートラインに立てました。

すぐできるのかな?自分は子供ができる体なのかな?
そう思っていたら2周期で妊娠。
「なーんだ、結構簡単にできるんじゃん」
妊娠したことでの舞い上がりと無知ほど怖いものはない、でそんな風に思いました。
今思えば本当におごりです。

検査薬で陽性が出ただけで浮かれて夫と子供の名前を考え始め
翌日には夫と一緒に近所のきらびやかな産院へ。
マタニティ雑誌なんか読んで待合室で待ち、意気揚々と診察室へ。

「早すぎて何も見えないねー」

なにそれ?って感じでした。週数計算もわかってないし、
病院に行けば「おめでとうございます、3ヶ月ですよ」なんて
ドラマみたいなセリフが聞けるものだと思っていました。

1週間後に来るように言われ帰宅。
それでも妊娠してるんだ気分に浸りまくり
仕事帰りに本屋で妊婦雑誌を立ち読みしたり。
すっかりその気でした。

立ち読みして知識バッチリ☆という翌日に出血、そしてすごい腹痛。
病院にすぐ連絡し診察に向かうも既に出血もすごくほとんど出てしまったようです。
わけがわからないまま麻酔なしでソウハの処置。
腹痛もすごかったけど、その処置も半端じゃなく痛かった…
点滴が合わないのか吐いたりもして、身も心も憔悴しきってしまいました。

病院にしてみたら初期流産なんてよくあること、
胎嚢すら見えてないのだから、というのは本当に今になればわかるけど
その時は「妊娠したら生まれるもんだ」としか思っていないので
言葉では言い表せないほどの気持ちでした。

1人になれない、夜は眠れない、食べれない
週末だったことで夫がいてくれたので救われました。
それでも夜は眠気に負けて寝てしまう夫に取り残され
世の中からも1人取り残されたように感じました。

どうやって立ち直ったのか…もう8年も前のことなので正直覚えていません。
ずるいですね。人間は忘却の生き物とは言いますが。
日にちをやり過ごすことしかなかったような気もします。
夫婦2人暮らしでしたから、好きなだけ落ち込むだけ落ち込んでいた気がします。

ただこんな初期の初期なのに、まわりに話してしまっていたんですね。
実親にも友達にも職場(パート)の人にも。
今思えば本当に軽率だったなぁと思います。
それだけ無知で浮かれていたんですね。
話した人の数だけ、話を回収してまわらないといけません。
自分では連絡できず夫から話をしてもらったこともありました。本当に感謝です。

流産後、ホルモンのバランスが乱れて生理不順になることもあると聞き
基礎体温をつけ始めました。毎日続けて安心するものが欲しかったのかも。
元々生理不順もなく規則正しいので1ヶ月後には生理が再開し
基礎体温も絵に描いたようなグラフになりました。

当時は既にパソコンもあってネットもメールもやっていましたが
これだけ気軽に書き込める場所もあまりなく、
ドキドキしながら掲示板に気持ちを書いたことがあります。初書き込みでした。
「流産したけど今は子供がいる」という人からのお返事をたくさん頂き
それが私の心の支えになりました。
自分が知らないだけで、経験者が意外に多いことも知りました。

世の中、当たり前なんてない

それを知ることができました。
願いが叶わないのは努力が足りないからだ、というタイプだったので
調子に乗っていた自分が恥ずかしくなりました。
自分ではどうしようもないことがあると知りました。

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腑抜け

実は今回の稽留流産の手術はまだ済んでいません。明日の予定です。

診断を受けたのが8週の検診だった11月19日。
その時に心拍がないことが確認され、そのまま手術の話となりました。
(詳しい経過は別に書こうと思います)
手術は1週間後。空きがないから仕方ないけど、まだお腹の中にいるんですよね。

こういう時、妊娠反応はまだ出るんだろうか。
私はつわりがない人だからわからないけど、中にはこういう状態になっても
つわりが続く人もいると聞きます。それも何と辛いことでしょう…

もう妊婦ではないので食べ物も気にしなくなりました。辛い物、生もの。
だけどまだお腹の中にいるから無理はできません。
手術をお願いしているのは不妊・不育専門の個人病院。
もし休日に出血したりしたら総合病院の救急にかかるように言われています。
できれば専門の病院で手術を受けたい、こんな時に何ですが小さな希望です。
2度目の流産の時と、1人目の出産に立ち会ってくれた先生だから。
処置的には同じでもやっぱりメンタル面って大きい気がします。

だから診断から手術までのこの1週間は腑抜けな暮らしをしてきました。
動きたいけど動けない、そんなの言い訳かな。
もし動ける状態だったとしても、気持ち的にサボっていたかな。
立ち直って早く次に顔を向けたい、そう思っても動けない。
手術が済んでないことにはまだ私は止まったままだから。

スポーツだって(ママさんバレーやってます)休んだまんま。
妊娠したらもちろんすっぱり休む。これは私だってもちろん納得のうえ。
妊娠してるんだもん、喜んで休みます。休んできました。
今は…妊娠も終了してしまったのにまだ運動できない。
生殺しみたいだ。

こんな風に考えること自体も、
早くお腹の中から消し去りたいと思ってるみたいで自己嫌悪です。

お天気のおかげか今日は気分もよく、家のことや片付けに精を出したい気分です。
でも小心者の私は旅行や何かで家を空ける時
「きちんと片付けていく=身辺整理をして出かける」というのが頭にあって
わざと小汚いまま家を空けるようにしています。
(向田邦子さんの飛行機事故は有名な話ですが)
明日の手術は日帰りで簡単なものと言われているし
前にも経験したことがあるので心配はしていないけれど
それでもやっぱりゲンを担ぐと言いますか、片付けもあまりしないで出かけようと思います。

戻ってきたらまた頑張ろう、家族には申し訳ないけど
その時のために家は小汚いままで。

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はじめに

最初の妊娠は5週で進行流産、2度目は心拍確認後7週の稽留流産。
3度目の妊娠では何の心配もなく無事に出産。

今年6年ぶりの妊娠をしたものの、8週で稽留流産になりました。
2度目の時は「3回続いたら検査だけど…」と言われて特に検査せず
確かにその後3回目で無事生まれたのでもう大丈夫かと思っていました。
自分にはもうあんなことはないだろう、普通の人のように妊娠したら生まれるんだろう
そう思っていたのは甘かったようです。

最初の病院では間に1人生まれているので検査は必要ないと言われましたが
病院を変えて不育症の検査をすることにしました。
それに向けていろんなブログを読ませて頂いて勉強になったので
私も自分の記録として、またどなたかの参考になればと思い経過を書いていくつもりです。

掲示板なども見てまわったのですが、自然妊娠なので不妊関連のところでもなく、
1人目がいるので流産掲示板でも居場所がありませんでした。
子供がいることで救われる部分も多いけれど、自分の気持ちのペースだけで過ごせない分
いろんな気持ちを消化しないまま無理に日常に戻っているような気もします。
ここでは素直な気持ちも書いていけたらと思っています。

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